身体に残されたもの

 朝の混雑するプラットフォーム、制服の高校生を見ると昔を思い出す。

 あっという間の四十年だった。

 

 不思議なことに歳を取れば取るほど思い出されるのは校庭の土の香り、肌で感じた風、そして教室の窓から見た空。

 

 教室の喧騒はいまでも思い出せるけど、授業はサッパリだ。

 テストの前の緊張は蘇るけど、問題の内容なんて覚えてない。

 終わった後は全身が弛緩した。

 

 年月が経つほどに自分から滲み出てくるものは、あの頃はほとんど気にもとめなかった身体が感じていたであろう事だ。

 

 当時、文化祭で校内ではじめてロックをやるため借りてきた大きなアンプをリヤカーで運んだことをうっすら覚えているが、その時の全身で引っ張ったズシっとくる腰への重さはいまでもここ腹にある。

 記憶が薄れていっても重さはいつまでも残るのだろう。

 

 身体が体験したものは、どんなことも決して消し去ることはできない。それに同化して生きていくということが人の深みを、人生の深みを増すということ。

 

 あなたに起こったことを後悔することなく、個性の成長として学び、決して振り向かず明日に向かってあなたはあなたのままで生きていけばいいと思います。

 

 

 私は微力ながらそれを見守り、応援したい。

 

2025/7/19