小学生の頃、「自分のために」という詩を書いた思い出がある。
希望を持って、真面目に勉強をすれば豊かな未来が来ると教えられてきた。
大人になるにつれ、成功者の例は、道徳者から経済的成功者に移っていった。簡単に言えば、富を得た人だ。世のため人のために尽くしたから富を得たという話だ。
血湧き肉躍るという言葉があるが、どんな時になるのかはあまり考えたことがなかった。
親しんだ少年漫画は「弱気が強気を挫く」といったものだった。簡単に言えば、それが「カッコいい」のだ。少なくとも、ガリ勉はダサかったし、自分のことしか考えない我利我利亡者は悪役だった。
実際の教室で教えられていることとは、正反対の世界だったように感じた。
翻って身体のことを考える。
時に自身でもわからないチカラや勇気が出ることがある。
時に空回りして、萎えて、調子を崩していくこともある。
自縄自縛を招くときは常に、自分の成功を祈念し、自分がうまくいくことを夢見ていた。
達成そのものより、成功した後の自分の立場に魅せられていた。周りに溢れている多くのHOWTOものは役に立たなかった。
自分を蚊帳の外に置いて、他者を憶い一心不乱に身体を使うときは、結果に関わらず前に進んだ実感があった。
「やり切る」という実感は他者を憶い全身で物事にぶち当たった時だった。
おそらく他者への憶いなしには全力は出しきれないのだ。
もしいま詩を書くとしたら「自分のために」よりも「尊崇のために」という言葉を使うと思う。
2025/5/11 Sosuke.Imaeda