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人と科学

静寂な海に月影が投影される。

かつての皇族は、月を直接見るお月見ではなく、水面の光を見てお月見としたという。

 

水を通した月の影。

 

国会議事堂の中央に流れる通路の照明は

天皇が歩かれるとき、御体の影をうつさないようセッティングされていると聞いた。

 

あなたは、子供達の影踏み遊びを経験したことがあるだろうか。

影はいつも寄り添い、形は変形自在、時には姿を消している。

踏まれても痛くないのは、感知し得る世界のみ。

形而上では、何かが起こっている。

 

静けさと厳粛さの中に潜む「モノの気配」にかつて人々は、ひときわ敏感だった。

 

近代になり科学技術の躍進はとどまるところを知らない。

底辺に流れる、巨大化し続ける資本主義は一人勝ちの様相を呈している。

トランプは米国の経済を立て直すのだろうか。

しかし、1パーセントのセレブが富の9割を持つ構造は変われない。

仮面を被った民主主権主義。

100年前に起こった「ロシア革命」をプーチンはことさら取り上げない。

不毛の地、極寒のロシアは国家主義体制に再回帰中だ。

プーチンは国家に奉仕する。資本力を持った新たな国家こそが目的だ。

習近平は一帯一路政策でアジアを席巻する。ハワイから西は中国?

アリババ、テンセントが新たなプレイヤーとして世界に台頭してきた

 

AIAI同士で学習し、今や将棋やチェスや囲碁の名人を寄せ付けない。

ディープランニングによる一風変わった打ち手は、人類が何百年にも渡って練り上げてきた定石の敵ではない。

ウーバーを筆頭にライドシェアはそのメカニカルな頭脳をコンピュータが担う。

人は、膨大なDBの最適化された指示に従いハンドルを握る。

そして、いずれ車は自動運転になるだろう。

かつてのメインフレームが手元に収まり、誰もが持ち歩くようになったスマホ(20年前だれが予想し得たであろう)

ARVRが加速度的に発展すれば、デバイスのない世界はいよいよ現実味を帯びてくる。

 

僕らは、コンピュータを否定することはもはやできず、生活を豊かにする、人生を形取っていくツールとして、それとどのように付き合って行かなくてはならないのか、

いよいよ再考しなければならない時代になった。

未知との遭遇、それを恐怖との遭遇と捉えるのではなく生き生きした新世紀との遭遇と捉えたい。

 

人は、誰かのために食事をできない。誰かのために感動できない。

しかし、満足感や感動は人と人が共有するものだ。

「人」という漢字は、地についた二股に分かれた線が、天に向かって一本で立つ。

「人間」という言葉は、人と間が組み合わされている。

今こそコンピューターにできないもの、それこそが人間性だと思うのだが、その能力を懸命に鍛錬し、人間として立ち続けて行かなければいけない正念場ではないか。

 

果して、一般的に障害と言われているものが、人にとって本当に不要なものなのか?

幸運も不運も、持っているものも、持っていないものも、平等も不平等も人生を全力で生きるための意味ある尺度なのだろうか?

科学が不足しているものを補っているという単純な図式はもうなり立たない。

 

2017/12/24 sosuke imaeda