1981年9月19日、僕はニューヨークのセントラルパークにいた。
なにかイベントが行われるのだろうか?多くの人が公園に集まってきていた。
僕は人並みが向かう方向につられて歩いていった。
高い樹木が生い茂るなか、やがて大きな芝の広場に出ると遠くにステージが見えた。
どうもそれは慈善コンサートのようで、周りの人の普通ではない雰囲気にかなりのビッグアーティストが出るのではないかと期待させた。
ローリング・ストーンズが久しぶりの全米ツアーを始めたというニュースが頭の中をよぎった。
ジョン・レノンは一年前に隣接するダコタハウスで銃弾に倒れていた。
僕は芝生の上に座り、一人いつ始まるかともしれない謎のイベントを待っていた。
周りの人は楽しむことに慣れているようで、友人同士、家族同士ピクニックに来ているかのようにワインなどを飲んで思い思い楽しんでいた。
やがて夕方になりステージに現れたのは、なんとこの一日のために再結成したサイモンとガーファンクル。解散して10年経っていた。
中学時代から好きで友達と歌詞をよく暗記したものだった。
僕はNYにいながらにして埼玉県の中学校の土臭い校庭にワープした。
やがてコンサートは進み、まさか生で聴けると思わなかったハイライトとなる「明日に架ける橋」を聴きながら、父のことを思い出していた。
父は25年前の9月19日に亡き人となっていた。
インターネットも、もちろんGoogleマップもなく、出版されたばかりの「地球の歩き方」だけを頼りに初めて米国を横断する旅に出たのは、当時の私にとっては随分思い切った行動だった。
そしてニューヨークでコンサートを観れたのはタイミングよい偶然の重なりだったのだろうが、短期滞在にも関わらず、このコンサートのはじまる寸前にたまたセントラルパークのそばを歩いていたことは必然とも思えた。
当時治安はとても悪く、滞在した都市では色々と危ないことがあったが、その都度何かに守られているような気がしていた。
コンサートは最高潮に達し最後にボブ・ディランがモデルになったともいわれる「ボクサー」が歌われた。途中聞き慣れない歌詞があった。初めて歌われた四番だった。
Now the years are rolling by me
They are rocking evenly
I am older than I once was
And younger than I’ll be That’s not unusual
Nor is it strange
After changes upon changes
We are more or less the same
After changes we are more or less the same
(Paul Simon)
年はうねるように過ぎ、みな同様に揺すぶられ、
僕はかつての自分より年取り、あるべく自分の姿よりは若いまま。
まぁ、そんなに不思議じゃないけど、そう不思議じゃないけどね。
変化を重ねても、僕らは多かれ少なかれ同じだし、変化した後も、僕らは多かれ少なかれ一緒だ。
(和訳 imaeda)
コンサートはまだまだ続きそうだったので、土地勘がない僕は、アンコールがはじまる前に会場を後にした。夜空のした、大歓声と共に「サウンドオブサイレンス」がニューヨークの風に乗ってコダマしていた。
あれから23回目の9月19日が来る。
父が亡くなってから57回目だ。
僕には小学校三年の時に亡くなった父との思い出は多くない。だからこそ父の思い出はとても貴重だ。
整体生活をしていると親子の絆を感じることがよくあります。
そんな時には、生命の不思議さを感じます。亡くなった父も、そして母も祖母もここに身体とともにいるような気持ちになることがあります。
9月19日が近いこともあり、私的なことですが父に捧げるエッセイとして記させてもらいました。
「いくら変化を重ねても、僕らは多かれ少なかれ同じだし、変化した後も、僕らは多かれ少なかれ一緒だ。」
2024/9/15 Sosuke.Imaeda
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