私が生まれたのは昭和三十二年です。
私はそれ以前の写真や動画を見るのが好きです。
私がいない世界。でも人々は普通に生活している。多くの人々はもうこの世にいないであろう。フッと自分が映っているではなどとちょっと不思議な感じにもなります。
私がいなくても世界は廻っている。そして私がいなくなっても世界は廻り続けるだろう。
私は私という存在を中心に考える不遜である自分が好きでした。
でもいまは限定した思い込みの自分をとても嫌いです。
結局のところ自分で化粧して演出を手掛け一人芝居をして観客及び評論家は私だったからです。
残された時間で私はもう一度稽古により眞の自分なるものを追求し感じたいと思ってます。
それは、そこはかとないものではなく、不動の心へのへんげでもあります。
そうやって一人の小さな存在である生物、人は間という文字を得て人間に成長していくのだと思います。
稽古は動法でも内観でも身体間の対話として行われます。個人でやる時はもちろん、集団でやる時も個の身体との対話です。
稽古に礼はあっても、服従関係はありません。
そうでなければ伝わらないことを伝えたいと思ってます。
そして稽古を続けることにより、それが生きていく上での知識ではなく知恵になっていただければ幸甚であります。
2025/04/17