身体全体の感覚の喪失

ソニーのウオークマンで音楽をヘッドホンで聴くようになり、そういう習慣が身について久しい。

最新ではコードレスでAirPod(アップル社のヘッドホン)を使っているが、

近年は年齢のせいもあるのか、しばらく聴いていると、どんなに音量を下げても耳が痛くなるようになった。

昭和のロッカーがデジタルミュージックと昔のレコードと何が違うのか話していたがデジタルは各々のパートの音がクリアに聴こえるのだけど、レコードのようなガツンとまとまって肌にぶつかってくる感がなくなったと言っていた。

僕らは、デジタル時代になるにつれ全体性を失い局部性を洗練させざるおえなくなっているように思う。

かつては身体全体で音楽を聴いていたのが、今は耳だけで聴いている人が多いように思う。

 

今朝もテレビでリモートから専門家なる人が番組に出演していたが、

専門家なる人はヘッドホンをかけPC画面に向かってコメントされていた。

彼は目だけを使い司会者や出演者、スタジオセットを認識し、耳だけを使い言葉を聞いている。

例えば嗅覚というのは人の持つ五感のうちダイレクトに本能に直結するものらしい。

また皮膚は第二の脳とも言われている。もちろんそれだけではない、他の局部だって立派に何か生存に不可欠な作用をしている。

人は身体全体を使って、それを統合して、環境を時間を感覚した上で、局部を使っている。

人は局部だけ使うようになって多くの時間が流れた。デジタル時代になるとそれが加速された。

 

激辛ラーメンはやっぱり大汗をかきながら食べたいものだ。汗をかかない健康に配慮した激辛ラーメンがあってもなんだか寂しい。

 

むかしサーフィンを湘南で教えてもらったことがある。

色々な知識を持って臨んだが、所詮局部だけ動かしても無駄で、身体全体を働かせなければ、波に乗れるわけがないと悟った。

でも一回波に乗ってしまえば、身体はとても心地よく自動的にバランスを保ってくれていた。

身体全体を使う爽快感にはサーフィンはぴったりだった。

 

音楽の話にもどろう。

ヘッドホンで聴くとどうしても耳だけに集中してしまい、そこから脳に回路がつながってしまう。

耳に音楽は入ってきていも、身体全体で音楽を受け止めるよう身体の感覚を働かせ、

昭和のロッカーの感じたガツンとまとまって身体に響く聴き方をしたいものだ。

 

レコーディングをミュージシャンがヘッドホンでするようになってずいぶん音楽はつまらなくなったように思う。

同じミュージシャンのライブを聴くと遥かに私の身体をヴァイブする躍動感がある。

色々な要因があると思うが、その一つに今日の話題があると思う。

つまりライブパフォーマンスをやる時にアーティストは耳にモニターをつけるが、会場の音も同時に

全身で聴いている、感じている。きっとそういう理由がある。

もし、ノイズレスのモニターで自分の演奏だけしか聴かなかったら、ライブ会場の演奏もだいぶ違ったものになっていると思う。