あなたにとって贅沢な時間とはどんな時間でしょうか?
仕事に埋没する時間
家族と過ごす時間
趣味に費やす時間
それは人それぞれだと思います。
あなたはその時間をどんなふうに過ごしていますか?
自分を忘れて一心不乱に何かに対して集中している。そんな時は生きがいを感じる。そういう方も多いかと思います。
でもちょっとお待ちください。自分を離れて何かに集中すると言う事はいかにも大事なことのように思いますが、自分を離れてと言う事は一体どういうことなのでしょう。
自分を無くした人生になんの意味があるのでしょうか?
「楽しかったからそれでいい」
それは「誰」が楽しかったのでしょうか?
そこにあなたはいましたか?
私は私を感じることはできる。
しかし私を支配することは出来ない。
私を考えることは私を支配しようとする意欲につながります。
多くの人が私を感じることを私を考えることと混同していると思います。
かつてあなたは好きな人や好きなもの、好きなことに遭遇して胸をときめかせた。
いまはどうですか?
無心に生きる。無私の貢献。素晴らしいことです。ただそれは私をなくして生きているということの危険性を孕みます。
私は頭で喜び理屈で納得する。首から下はないに等しい。
そんな危険が百花繚乱のエンターティンメント現代には多く潜んでいます。
私の顔、私の手、私の人生。それは頭でコントロールした対象物ではなく、生身の身体感覚でしか存在できません。
私は腕を感覚することにより腕の独自感覚を尊重することができます。
頭脳を通してしまった腕は、もはや隷属する腕であり、死んだ仮面を被った腕です。
ましてや身体が空っぽになって熱中することは次の連鎖を生み、永遠に完結しない連鎖の渦に身を埋めていってしまうことを意味します。
贅沢な時間とは
「身になる時間」です。
文字通りあなたがあなたの「身」になるのです。
そんなの当たり前じゃないかと思う方もいらっしゃるかもしれませんが実は私たちは「身」を忘却して生活しているのではないでしょうか。
今一度贅沢な時間を取り戻すために「身」になる時間を得るために「身」になる稽古を積み重ねていきませんか!
日本文化のいう自然とはのばなしの自然ではありません。禅寺の庭園を想像してもらえればわかると思いますが日本人の考える自然は人が創り上げた自然です。芭蕉のいう造化の自然です。
静寂とした庭は身体に響きます。自然の法則を律した庭同様、身体も身を美しくするために、充実した生きているという実感、果実を得るためには教育が必要です。
身体教育研究所駒込稽古場は身体教育による「身」の育成に賛同いただく皆さまに稽古を通じて世界に一つしかないあなたの「身」を磨いていくところです。
そして人々の「身」と「身」が響き合い、まわりの自然とともに共感して生きていく快活な身体感覚を、生命を実感できるように稽古を深めてまいります。
令和4年6月23日