講師問答(動法事始め)

 

問「動法をはじめた経緯を教えて下さい」

答「わたしが動法をはじめたのは40代です。当時は会社生活でも一番忙しい時期で、心身ともにかなり疲弊していました。いろいろな面で限界を感じ、自分の中にきちんと生きていくための指針を作りたいと思いだしていた頃でした。

「生きる術としてこのままでいいのだろうか」それは精神的にも、そして身体的にもドーンとわたしの上にのしかかっていたのです。

 

そんな時、出席したのが身体教育研究所での野口裕之先生の公開講話でした。講話は「みまもうが如く身体に同化する」という話を基調に進められました。その後に行われた実習では「身体」が私に従属したものというより、生き生きとした独立した生命力ようなものと感じることができました。その夜は、これまでの霧が晴れたような感じとなりとても素晴らしい夜になったのを覚えています。私は何一つ変わってないはずなのに、というか私の中にあった私とともにあった身体を初めて発見し感覚し、世界はひっくり返りました。

それから、わたしは稽古に夢中になりました。そしてその稽古の基礎を成すものが「動法」だったのわけです。

 

問 「その後、現在に至るまでを教えて下さい」

答 「動法の素晴らしさに魅せられた私は稽古を続け「動法教授資格者」の免許をいただき稽古会を自ら実施させていただくようになりました。そこにはもう一歩踏み込んで稽古を組み立てていきたいという気持ちがありました。そしてその後、技術研究員の資格をいただき駒込稽古場を主宰させていただいております」

 

問「動法についての解説文はありますか?」

「動法については「動法」の生みの親である野口裕之先生の論文に書かれており、これ以上のものはないと思います。関連リンクページから論文にリンクを貼っています。熟読すればするほどその味わい深い内容に感銘いたします。私は読み返すたびに新しい意味を発見します。一文一文を丁寧に推敲し書かれた文章は時を経ても色あせるどころか心に深く響いてきます。ぜひご一読下さい」

 

問「動法とはどんなものですか?」

答「動法創始者である野口裕之先生は、日本に古来から存在した身体の動作規範と説明されてます。前近代の日本人が生活していく上で共通の身体規範を持っていたという仮説から動法は生まれました。日本という自然を畏怖し、八百万の神が司るという風土の下、身体を最大限 に活用し世代を引き継ぎ生存を図るうえで成長してきたのが動法だと思います」

 

問「動法の魅力を教えて下さい」

答「なんといっても身体ひとつでできるということでしょう。とくに高価な道具は必要ありませんし、時と場所も選びません。わたしは24時間動法三昧の生活を行っています。稽古会でやるのはそのきっかけや手ほどきであって、実のところ動法の道場はみなさんそれぞれの生活の場そのものだと思っています。動法はマスターするにつれ、これまで持っていた身体観が変わっていきます。身体観が変わっていくということは、新しい自分に変わっていっているということと同義だと思います」

 

問「動法は何年ぐらいでマスターできるのでしょうか?」

答「動法は一生続けていくもので、ここまできたら卒業というものではありません。まるで呼吸のように、ひっそりといつでも自らに寄り添い、それは稽古を増すことにより力を増し、わたしたちの生活を豊かに彩るのです」

 

問「動法では教本といったものはあるのでしょうか?」

答「動法に教本はございません。動法はある一定の技法にたどり着けば、自らそれを壊し、 新たな技法を模索していきます。動法は淀まず展開していくもので、教本で定義してしまえばその解釈は固定してしまうと思います。ただ、そうはいっても「カタ」といいうものは重視いたします。「カタ」は写真でみてもわかりません。 それは内部に宿るものが外部に現れた姿だからです。よって「カタ」にしても実際にご自身で稽古をして身体で実感し深めていくしかありません」

 

問「動法に向いている人はどんな人でしょうか?」

答「動法入門の底辺はたいへん広く、一概にこういう方が向いているとは申せません。ただ、こういったものがお好きな方と興味がわかない方がいらっしゃるというのは事実です。あえて一例出すとすると、どちらかというと好奇心が強くオタク気質な人なんかが向いているのかもしれませんね。なにかにハマるという感じで動法にハマっている方はけっこういらっしいいます。一方、いまの自分に満足されていたり、自信のある方はあまり興味を示されません」

 

問 「日本文化と動法との関係を教えて下さい」

答「日本文化が生んだ華が動法です。たとえばお能を例に取ってみましょう。あのスローな動きはなにを意味しているのでしょう。観客はあそこに現出する静けさの中に何を観ているのでしょうか。 お面についても同様です。なぜ素の顔を出さないのか、観客はあのお面に何を感じ物語の世界に埋没するのでしょうか。演者にも観客にもその底辺には動法が脈々と息づいていると思います。動法は表面だけの動きを指しません。頭で考えるのではなく、身体の感覚を通して観るのです。すると実は観念でしか見ていなかったものが、摩訶不思議というか、身体と一体となってまざまざと迫ってくるようになるのです。身体感覚を司るものそれが動法の根本にあります」

 

問 「動法は閉じた世界の技法なのでしょうか?」

答「動法は閉じた世界に存在しているように感じられるかもしれません。コマーシャリズムによるプロモーションなどで広げていくものではありません。わたしは動法教授者ですが、サービス提供者ではありません。動法はひとりひとりが稽古し自らそのエキスを獲得し応用していくもので、稽古はその道標です。ご自身で楽しみながら稽古体験を積み重ね、ご自身を変えていくものだと思います。動法の扉は興味があり探求していく方には開かれています。動法は解決法ではなく、人生を強く生きていくための嗜みです」

 

問 「稽古会の目的はなんですか?」

答「特に目標が明示的にあるわけではありません。身体教育研究所の活動に共鳴し自らを修練したいという方が、お一人や小グループで動法を習得し、さまざまな分野の身体動作の基盤となり、現代でも新たな日本文化が華開いていくと素晴らしいですね」

 

問  「動法はスポーツの一種ですか?」

答「これまでの西欧を中心とした世界は勝ち負けの二局であったと思えます。動法は 三局目を重視します。勝ち負けだけではなく、そこにもう一局追加する。それだけで、世界は変わると思いませんか。じゃんけんを想像してみて下さい。「あいこでしょ」により新たな世界を創作するという立場なのです」

 

問 「動法はどのような人々によって継承、発展されてきたのでしょう?」

答「一例として強者と敗者という構図で考えてみましょう。動法は弱者側が培った面が強いと思います。多くの文化は弱者の忍んだ歴史によって形作られてきた側面が多くあります。貧困の中に楽しみを見出し、弱い身体だからこそ強く生きる身体感覚を養う。動法は人知れず人生を生ききった多くの無名人の身体動作の積み上げに支えられています」

 

問「最後に興味を持たれた方に伝えたいことはありますか?」

答「お話させていただいたことは、動法の一面でしかなく、多面的に捉えられるものが動法だと思います。動法の可能性は無限に広がっていると思います。動法は古に戻る懐古的なものではなく、新しい文化に向かって躍動するものです。そして文字通り身体で動き、その法則を知ることで、その醍醐味が分かります。別にフィジカルエリートである必要はありません。身体教育研究所には全国に多くの稽古場があります。身体教育研究所のホームページ(関連リンクページ参照)で確認できますので、まずはお近くの稽古場で動法体験をしていただくことをお勧めいたします」

 

駒込稽古場講師 Sosuke.Imaeda まがきがん